ももきちと歩く散歩の意味

私がももきちを迎える前に飼っていたチワワたちは、実家の群馬県に住んでいた頃。

ももきちを迎えるために引っ越したペット可の今の家。
つまり、今のこのあたりはももきちと同じく私たちにとっても「慣れない場所」だった。

ももきちと一緒に散歩をし始めて、早くも1.5年。
気がつけば暑い夏や雨の日以外は夫婦で協力してももきちとこの辺を朝晩歩いてきた。

「ももきち〜桜が咲いてるかチェックしに行こっか!」
「桜が咲いたからももきち一緒にお花見いこ〜」
「ももきち!落ち葉追いかけなくていいよ〜」
「ももきち〜休憩につきあって〜」
「今日はあの子に会えるかな〜?」

お散歩はいつだって、いくまでがめんどくさい。

だけどお散歩に出てみるとたくさんの人とすれ違う。

犬の散歩中の人、ウォーキングしているおじいさんやおばあさん、ゴミ出しに来た奥さん、保育園の帰りにすれ違う親子、買い物帰りの方、仕事中の人、学校帰りの高校生、、、

犬よりも人が大好きなももきち。
彼はいつもすれ違う一人ひとりにアピールするから「お散歩いいね〜」「今日はあったかいね〜」「かわいいね〜」と、すれ違う人が笑顔を見せてくれて、しゃがんで触ってくれる。

それをきっかけに飼い主同士が話し込むことだってある。

そんな風に朝晩、ももきちとこの街を歩き始めて2年弱。

気がついたら、顔見知りの人が増えて、離れたとこから「あ、ももきちくんだ〜」とか、「ももちゃん久しぶり〜」とか声をかけてもらえるようになってた。

私一人だったらこんな風にこの街の人と話すことはもちろん、お散歩中のおばあさんにわざわざ振り返って「こんにちは!かわいいねぇ」と声をかけてもらうことや、遠くから見たら怖い顔の人でも「かわいい子ですね〜」と素敵な顔で笑うことを知れることはなかった。

そして何より、犬が大好きな人が多くて、あったかい場所なんだということも、きっと知らなかった。


私の住んでいた群馬の実家は、おばあちゃんも一緒に暮らしていた。

おばあちゃんと暮らしていると、旬の食べ物や季節の花とたくさん出会っていたことを思い出す。

おばあちゃんが亡くなってから、おばあちゃんを思い出すときは必ず季節を感じたときなのはきっとそのせいだ。

ももきちと散歩していると、季節を感じる。

どれだけ忙しくて、散歩に行く余裕ないよ〜と思う日でも散歩に出てみると季節をちゃんと感じられる。

おばあちゃんを思い出すと、心はいつもやさしくなれる。

そのくらい、とてもかわいくてたくさんのことを教えてくれたおばあちゃんだった。


もうすぐ今年も桜が咲く。

東京は開花宣言が出たけど、ももきちとの散歩で見たこのあたりの桜はまだ少し先かな。

この街が好きになったのも、季節を感じる大切さを思い出せているのも、きっとももきちが来てくれたからなんだ。

犬は相棒。

「ももきちのために」のお散歩ではなくて、「ももきちと一緒に街を歩いていろんなものや人に出会う」散歩でありたいと、自分の中に大切にしまっている。

ももきちとのお散歩終わりはいつも水をガブガブ飲んだあと、口の周り水ぼたぼた垂らしながら私の口を舐めてくれる。

その姿がなんだかとてもかわいくて「楽しかったね^^また行こうね!」とももきちに言うと、また嬉しそうに舐めてくれる。

一緒に生きていこうね。

少しでも長く一緒に。