1.愛犬の素晴らしさを知る|ちわわのちっぷとの出会い

私は昔、実家でちわわファミリーを4匹飼っていました。
その中でもお父さんであるやんちゃ坊主の「ちっぷ」が私の担当となり、
それから毎日ちっぷと一緒に眠りました。

ある日突然ちっぷが右側に傾くようになり、ベロも出たままになりました。
MRIを取り調べてもらいました、髄液を取るにはリスクが高く、
その割に病名がわかる確率が低いとがわかり、結局原因は不明。
そこからちっぷはずっと右回りでぐるぐるし続けたのです。

ベロがうまく動かすことができないので、ごはんやお水を上手に取り込めない。
ごはんは抱きかかえるようにして細かくしてお団子状にして、
徐々に液状化して、気がつけば最低でも30分はかかりました。

一日中回転し続けているちっぷは、カロリーを摂らないと痩せて栄養失調になってしまうほど。
先生からは「ちっぷが食べられるなら何でもいいです」といわれるくらいでした。
この時「カロリーが高く栄養のある液状に近いごはん」を探すのが本当に難しかったのを覚えています。
カロリーが高いものを食べているので定期的に血液検査をして、数値が悪ければ点滴を打つ。
2週間に1回は病院代だけで10,000円は飛んでいってしまうような毎日でした。

それでも私が寝る準備を始めれば、どこかで先に寝ていてもヨッコラヨッコラ起きてくるし、
寝る前にいつも私がちっぷにしていた
「ちっぷは世界で一番優しくて世界で一番かわいい子。大好きだよ」という話も、
話が終わるまで聞いてくれていました。

2.ちっぷとの別れ

そのくらい愛していたちっぷは9歳で天国へ。

病気になってからも、こちらの予想以上に小さな体で頑張ってくれたのです。

亡くなったことを報告に行った際に先生は、
「ちっぷがここまで生きられたのは、注射器になってもごはんをあげ続けた家族の愛があったからこそ。
 私達の医療はそのご家族の愛には勝てないんですよ。ちっぷくん、お疲れさまだったね。」
という言葉をくれました。

その時、私達の愛情がちゃんとちっぷのためになっていたのだと認めてもらえたようで、
家族みんなで泣きました。

私はすでに父や祖母を亡くしていますが、正直一番辛かった。
お金も時間もかかる子でしたが、それでも生きていて欲しかったくらい、大切な家族だったのです。

3.旦那「フレブルを飼いたい」と言い出す|ペットロスとの戦い

旦那と出会い、結婚してから少し経った頃。
旦那が「フレブルを飼いたい」と言い出しました。
最初の何回かは「ちっぷがいるから飼えない」と断り続けていたのですが、
ある時不意に立ち寄ったペットショップで、4ヶ月のフレブルがとても安く売られていました。

「この子は私達が引き取らなかったらどうなってしまうのだろう」ととても悩んでいたとき、
店員さんが抱っこさせてくれて、久しぶりに「犬」を抱っこしたのです。

結局、その時の家がまだペット禁止の物件だったので、
大家さんに交渉してみたり「迎える準備」を考えてみたのですが、
その間にペットショップに「あの子はどうしているか」を問い合わせてみたところ、
無事に他の飼い主さんが決まって旅立っていったということを知りました。

この間に旦那から改めて、
「俺は本気で犬を飼いたいと思ってるけど、まだ辛いなら今じゃないんだと思う。本当はどう思ってる?」
と聞かれた瞬間、気がつけば泣いていました。

ちっぷを失った悲しみのまま新しい子を迎えることは、まだためらう気持ちが消えなかったのです。
まるでちっぷのことを上書きするような気がしてなりませんでした。

4.私の実家の群馬県のブリーダーさんでフレブルが生まれたことを知る

とはいえ旦那はそこから密かにじわじわとペット可能物件探しをはじめ、
不思議なことにトントン拍子で新居が決まり、引っ越し準備。

その時旦那がずっと密かに考えていた
「私の実家の群馬県と同じ出身のフレブルをブリーダーさんから迎える」計画で、
群馬県のブリーダーさんのところでフレブルが生まれたニュースを伝えてきたのです。

5.ももきちとの出会い

「会いに行くだけでも行ってみない?」
正直、まだ吹っ切れたわけではないけれど、群馬県へ。

ブリーダーさんが連れてきてくれたのは3匹のフレブル。
「写真では1匹しか掲載していなかったのですが、ちゃんと性格を見てほしくて」と
ブリーダーさんが話しました。

あまりにも小さいフレブルの赤ちゃんに、ちっぷを迎えたときのことを思い出していると、
その中の1匹が私の腕で眠り始めたのです。

ブリーダーさんも、旦那もびっくりして笑っているときにふと、
誰よりも優しいちっぷが笑って
「迎えてあげて。ぼくはもう大丈夫だよ」と言っているようで、
私の腕で眠った子を迎えることに何のためらいもないどころか、
不思議なほど、自然な流れで決心と覚悟ができていました。

そうして家に来てくれたのが「ももきち」です。

2021年2月16日生まれの彼は、私にとって革命児です。
私に「犬と一緒の生活の幸せさ」をまた教えてくれた子。
またこうして「犬を飼う」ことの責任と幸せを味わえるなんて思わなかった。

ももきちはとても優しいです。
怒ることもないし、私達が落ち込んでいればおもちゃを持ってきてくれたり、
遊びたくても私達の手があくのをちゃんと見てからアピールしてくるほど、よく見てくれています。

6.ももきちとの暮らしへの覚悟とこのサイトを作った理由

彼を迎えるときにフレブルを飼っている友達からリスクの話をたくさんしてもらいました。
「フレブルを飼いたいと思ったら先に伝えておきたい」と電話をくれて、
フレブルが病気にかかりやすいこと、呼吸が苦手だったり、皮膚トラブルも起こしやすいことなど、
たくさんの「リスク」の話を聞きました。

私もそれを元にちっぷのときにかかったお金の大変さと介護が必要になったときに手がかかること、
トータル覚悟しないと迎えられないと再度一緒に勉強しました。

でも、そこまでの間に旦那はそれらのリスク全て勉強して、覚悟していたのです。

そして迎えたあとにブリーダーさんから
「迎えて半年以内に先天性のものがあれば引き取ります」と言われたときは、
「いえ、一度迎えたからには彼になにがあってももう家族なんです」と話していました。

ちっぷと一緒に頑張った毎日があったから、決心できた覚悟。

勉強して迎えたとはいえ、日々ももきちと暮らす中でまだまだ足らない知識。
これからも一生懸命勉強して対策することで、少しでも長くももきちと生きていけるように。
長文を読むのが苦手な旦那が少しでも理解しやすくなるように。

これは「ももきち」のための勉強ノートなのです。

できるだけ「楽しい」毎日を「少しでも長く!」