ももきちとちっぷとペットロス
私がまだ群馬県の実家で暮らしている頃飼っていた4匹のチワワ。
その中でも「ちっぷ」というお父さんの子が私の担当で、私とちっぷは兄弟のような不思議な関係だった。
よく子供のようだとも言うけどなんだか少し違った。
親友のようで、私の話し相手で、一緒に眠って。
ちっぷが9歳で病気で突然亡くなってしまってから、
もちろん残された3匹のチワワと一緒に暮らしてはいたけれど、
特にいつも一緒にいたちっぷがいなくなったペットロスの状態は案外辛くて長くて。
「ももきち物語」で書いたけれど、
ももきちを迎えるまでもフレブルを飼いたい旦那と何度も話し合いをした。
そのたびに、「まだ辛いのか私は」と驚くことさえあった。
ももきちとはじめて会ったとき
ももきちは私の腕で眠って、
ブリーダーさん、旦那といるのに私の腕を選んで眠ってくれて、
「犬は二度と飼えない」と思っていた私の気持ちをものすごく自然に溶かしてくれた。
とはいえそれからももきちを迎えてからも、
病気がちで毎週末動物病院に通っていたちっぷを思い出してしまう病院は、
たとえ同じ病院ではなくても、「動物病院」というだけで辛かった。
突然ちっぷを亡くして何もできなかったことがフラッシュバックするようで、
実は最初の頃は、毎回旦那に行ってもらって私は車で待ってたりもした。
ももきちは子犬の頃、ご飯もあまり食べないし、
その割におもちゃとか飲み込んでお腹をこわすことがとても多くて、
病院に行く回数も本当に多かった。
そのたびに毎回旦那にお願いしていたけれど、
ある時不意に、
「ももきちも頑張ってるんだから」と病院に行くようにした。
今の病院は先生だけじゃなく、看護師さんもみんなももきちに優しい。
「ももきちくんは本当にいい子なんですよ」と言ってくれて、
診察室から奥の扉もあいてることが多いから、奥で看護師さんがももきちに気づいて笑ってくれることもある。
気がつけば私の中にあったフラッシュバックなんかすっかりなくなって、
病院に行けば先生と話をして、相談して、笑顔で病院を出ることが多くなってた。
そうなってから最近ではすっかり病院に行く頻度は減った。
本当のところはどうかわからないけれど。
今思えばたくさん動物病院に行くことになったのも、
ももきちとちっぷの作戦だったのかもしれない。
少し前に私の甥っ子が亡くなった。
18トリソミーという病気を持っていた彼は、
生まれてすぐに余命宣告を受けたけれど、
その3倍も生きてくれた。
彼のお葬式の日。
霊感が強い私の母が突然火葬場で泣き出した。
理由を聞くと
「お父さんとちっぷちゃんが迎えに来てる」と泣きながら話してくれた。
ちっぷはそういう子なのだ。
私に霊感はない。
でもきっと、ももきちはちっぷに会ったことあると思う。
ちっぷのことをももきちで上書きするのではなく、
ももきちとの毎日がただただ愛おしくて、
ももきちと「一緒に」少しずついろいろなことを乗り越えて、
できるようになることを増やしていく毎日なのだと、今は思う。
家族はきっと、そういうために知らず知らずのうちに支え合っているのかもしれない。
この前お散歩で会ったご夫婦が大事そうにももきちに話しかけてくれて。
「うちも前同じフレブルのブリンドルの子を飼ってたんです」
「そっくりだよなぁ」
「ね。本当ね」
「ももきちちゃんありがとう!また会おうね」
なんて話をしてくれた。
さぁ、ももきち。
お散歩に行こうか。
今日はどこまで行こうかね。
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