ひび|餃子とスーパームーンと体当たりの幸せ
先日、私は落ち込んでいた。
そんなとき突然、妹から電話があり仕事が落ち着いたので会いに行った。
彼女の家の断捨離をしていて、小さい頃私たちが着ていた服を取っておいているから、捨てるかもらうか見に来て欲しいとのことだった。
妹の家に到着してここ最近の話しを、甥っ子と姪っ子からの人生ゲームのお誘いを交わしながら話す。
妹は私たちとの母とも一緒に暮らしているので、母も一緒にわちゃわちゃした中だと笑い話になった。
私たちの実家は群馬県にある。
ただ、今はもう実家は私たちのものではなく別の方が暮らしている。
つまり、私にとっての実家は今は妹たちが暮らすこの場所とにぎやかさなのかもしれない。
妹はわちゃわちゃした話をひとしきり聞いたあと優しく笑って「夕飯何持ってく?やっぱり餃子にしよっか!」と言った。
妹の作る餃子は、私たちが大好きでたまらなかったおばあちゃんの手作り餃子の味によく似てる。
おばあちゃんが亡くなったあとはじめて妹の餃子を食べて、私は号泣したくらい、おばあちゃんの味が生きている。
妹が「餃子みんなで包んで〜」と叫ぶので、甥っ子姪っ子、そして母もみんなで一斉に包む。
姪っ子はまだ得意じゃないから皮がすでにびちょびちょの水餃子のようなものが出来上がったけれど、それもまた愛おしかった。
妹が作ってくれて、みんなで包んだ餃子を持って帰り、自分の家で焼いて2人で食べる。
お互いいろいろなことがあるけど、頑張らないとななんて、静かに優しく決意した。
次の日。
ももきちとの夜散歩は私が行くことにした。
すっかり暗くなってから出てきたいつもの散歩道。
道の向こうにわんちゃんを連れたご夫婦が、2人で一生懸命空を見上げて何かを探していた。
近づくとお散歩でよく会うお友達のわんちゃんだった。
「なんだ〜ももきちくんだったのね〜!暗くて黒いからわからなかったよ〜!」なんて明るく笑ってくれて、立ち止まって挨拶する。
すると奥さまが「今日月見た?スーパームーンなのよ〜」と言った。
旦那さまも「このスキマから月見れるんですよ^^」と教えてくれた。
さっき2人で「こっちの方が見えるよ!」と話していたのが聞こえていたから、ベスポジを教えてくれたのだ。
私は思わず「だからですか!今日月まんまるですごい光っててキレイだなぁって思っていたんです^^」と伝えると、
「そうなのよ〜!うちもそれでこの時間まで待って2人で出てきたの〜。ほら、ももきちくんもわかる〜?キレイね〜。わかんないか!笑」と、明るく笑ってくれた。
2人と別れたの帰り道、ももきちもグイグイ引っ張らずにのんびり歩いてくれた。
時々私を振り返るので「上手上手」なんて1人で話しかける。
家に帰って足を拭きながらももきちはやっぱり、口を舐めてくれる。
「月、キレイだったね!楽しかったね!」と言うと、また口を舐めてくれた。
水を飲んだ直後に舐めてくれるので私の腕はびしょびしょになる。
仕事から帰っていた旦那の「おかえり!お散歩ありがとう〜」という声が響く。
「いいえ〜!スーパームーンだよって教えてもらったよ〜」と叫び返す。
もういい大人なのでさすがに気持ちは切り替えられるようになっているけれど、こんな風に何気ない会話や優しさで、救われることへの感謝が大きくなったように思う。
ももきちなりの優しさなのか、ここ数日は座っていると突然膝の上に乗ってきて、作業する手を止めさせて口を舐めてくることが多い。
寝ていてもべったり隣にくっついてくる。
だから時々、床に座り込んで「もも!おいで!」と話しかけて、嬉しそうに体当たりしてくるももきちをわしゃわしゃする時間を作る。
気がついたら思いっきり笑っていて、癒やされているのは私の方なんだ。
悩んでいても、落ち込んでいてもどうしようも出来ないことなら、気持ちを切り替えて、今そばにあるあたりまえが幸せなことだって、ちゃんと優しくしよう。
父親やおばあちゃん、そして実家から一緒に暮らしていたちっぷ含めたチワワファミリーも、もう旅立った存在ばかり大事にするのではなく、あたりまえに今一緒に生きている存在をちゃんと大事にしよう。
それがきっと、うまくいかないことを乗り越える力のひとつになっているのだ。