ひび|ももきちとはじめて一緒に群馬に帰った不思議な日
私とももきちは群馬県出身同士。
「同じ群馬出身なら一緒に里帰りできるじゃん」と群馬県のブリーダーさんを探していたらしい。
ももきちを迎えて3年。
暑さもあってなかなか一緒に里帰りできていなかったけれど、ついに一緒に帰れる日がやってきた。
あまりにうれしくて、前の日の夜ももきちへのおやすみの挨拶のときに
「ももきち、明日一緒に群馬に帰ろうね。少し暑いかもしれないけど頑張ろうね」と言ったくらい。
季節外れの5月の暑さの中、まずはももきちと一緒に私の父、祖父母が眠るお墓参りに。
暑さとももきちがいたことから、とっても早足で過ぎ去ったお墓参りの時間だったけれど笑
父が亡くなって以降、私たち家族にとってお墓参りの意味が変わった気がする。
私の妹は父の闘病中、一番厳しくリハビリに付き合い、学校とバイトと病院を眠る暇なく頑張っていた。
きっと、父が生きることをきっと父以上に諦めていなかったんだと思う。
彼女は父が亡くなったことを受け入れられなくて、しばらくはお墓参りどころか、父に手を合わせることさえ出来なかった。
時間が過ぎて「まり、一緒にお墓参りに付き合って」と、彼女が手を合わせたとき、背中を見て父がいなくなったということの大きさにこっそり泣いた。
お線香をあげて手を合わせたあとも、少しゆっくり2人でお墓に座り込んで時間を過ごした。
妹は帰り道に「やっとゆっくり話せた気がする」と言った。
私の母は今は東京で暮らしている。
お墓参りに母と2人で群馬に帰ったとき、いつもはすっかりおばあちゃんになった母が久しぶりにはりきっている姿を見れたような気がした。
帰り道母はいつも「来られて良かった。ありがとう」とお礼を言う。
母が帰れずに私たち夫婦だけでお墓参りする日にも「お墓参りありがとうね」といつもお礼を言ってくれる。
夫は私の父に会ったことがない。
今ももし父が生きていたらどんなに仲良くなっただろうと、ふと考える日もある。
夫はいつも父が吸っていたラッキーストライクをお墓で3本吸う。
父と、たばこが好きだった祖父と、自分の分で「一緒にタバコを吸う時間」と。
結婚する挨拶に群馬に来た帰り道にお墓参りしたとき、長い時間手を合わせている夫の後ろ姿を見て泣いたこともある。
やっぱり、なんて声をかけてくれるか、聞いてみたかったな。
今回ははじめてももきちと一緒に行くことができた。
「ももきち暑いね」と言いながら、急いでお花と線香を添える。
はぁはぁいうももきちが心配で、クーラーつけっぱなしにした車に急いで戻って、夫だけタバコの付き合いの時間を過ごす。
私たちにとって大切なお墓参り。
もう群馬県に実家がないからこそ、お墓参りで群馬に帰ることが実はとても大切な行事。
それがなんだかとても嬉しかった。
帰り道に、去年亡くなった幼なじみで親友のお父さんにお線香をあげに会いに行く。
家族ぐるみで良くしてもらったし、おじさんはいつも優しく笑顔でかわいらしかった。
元気いっぱいのおばちゃんは、全然変わらずに優しくて思いやりにあふれてて、「ももきちも是非あがって!うちは全然大丈夫だから!暑いでしょ!」とおうちにあげてくれた。
「かわいらしく優しく笑うおじさんのまま思い出せます」と写真を見ておばちゃんに言ったとき、おばちゃんが嬉しそうに頭を下げながら涙ぐんだことに気づかないふりした。
今回は不思議な旅だった。
今は別の人が使っている実家を偶然通り過ぎたり、父が最期に過ごした思い出の病院の横を偶然通れたり、本当に不思議な思い出の場所めぐりの時間になった。
帰りの車の中でももきちは揺れにも動じずに爆睡している。
すやすや聞こえる寝息を本当に愛おしく感じながら、毎日のことを思った。
日々、一緒に暮らしていればいいこともあるけれど、大事に思う気持ちと反対にイライラして相手に求めることばかりになることも多い。
「もっともっと」と、ないものばかり考えて求めてみたり。
きっと当たり前にあるものの中にたくさん愛が隠れてて、あふれているんだろうな。
きっとこの群馬の時間は、お父さんが作らせた作戦だったのかもしれない。
「そろそろお前たち群馬にリフレッシュしに帰ってこいよ」と。
お父さん、ありがとう。
やっぱりあなたは命がけで「生きる」を教えてくれる偉大な人。
私たちが大好きな群馬県のバンド「G-FREAK FACTORY」の「らしくあれと」をゆっくり聴く。
一番最後の「いつもここにいるから 隠れないで帰ってこいよ」の歌詞にいつも群馬県という居場所を教えてもらう。
深呼吸した。
これから先、私たちはどう暮らしていくんだろう。
何があって、どんなことがあるだろう。
大変なことばかりだけれど、大丈夫かもしれない。
帰る場所があるんだ。