ひび|ももきちと母と一緒に過ごした週末
私の母は実家の群馬県を離れ、今は東京で妹一家と暮らしている。
先日母がはじめて、私たちの家に泊まりに来た。
普段なかなか遠出することがなくなった母は、久しぶりの予定にどこか嬉しそうで、手の力が弱くなっているのに「貸せるもの貸すから身軽でおいでね」という私の話を無視して、とても重たい荷物を持ってきた。
「いつもならこの距離バス乗っちゃうけど今日は歩けるよ!」という母と一緒に、私は母がはりきって持ってきた重たい荷物を大丈夫なふりして腕を真っ赤にして歩いて家に向かう。
家に着くと予想通り、ももきちは大興奮した。
ももきちは来客があるといつも大興奮してしまう。
特に女性と子どもに対しては腰を振ってしまうのでいつもお客さんに協力してもらいながら、褒める訓練を重ねている(けれどうまくいっていない、、、悩)
母にべったりで、隣をキープして、腰を振ったり、顔を舐めたり、大歓迎している様子のももきち。
母に「重たいでしょ〜ごめんね〜ももきちが〜」と言うと母は
「力が強いね〜笑」とびっくりしてとても嬉しそうに大爆笑した。
母に「ももきちが腰振ったら低い声で人差し指立ててNO!と伝えて、やめられたらこのおやつで褒めまくってね」とお願いした。
気がつけば翌日帰る前には、母は「NO!」と褒めるがとても上手に出来ていて、ももきちも最初よりは落ち着いたように思えた。
今回はどこへ行くわけでもなく、私も家で仕事をしたりもする「なにもしない普通の週末」にただただ母が来た形。
朝と夕方にそれぞれももきちのお散歩に付き合ってもらったり、一緒にブラッシングしたり、ただただ「ももきちと一緒に過ごす普通の週末」を母と。
思えば私の母はもともと犬があまり好きではなかった。
妹が「飼いたい」と迎えたちわわのちょこ。
父が病気で手術をして退院し、ほとんど家で過ごす時間が増えてさみしくないようにと迎えたちわわのちっぷ。
ちょことちっぷの間に生まれた息子のでーる、くっきー、みろ。
みろは父の大好きな家族のところに迎えられたけれど、でーるとくっきーを手放せなくなり、気がつけばちわわファミリー4匹とともに暮らした群馬での日々。
みんな母のことが大好きでべったりだった。
東京に一緒についてきて、ほとんどの時間を母の部屋で過ごした晩年のでーるとくっきー。
2匹は母の話し相手で、大切な友だちでもあった。
ももきちを迎えるときに「でーるとくっきーをもっと自由に暮らさせてあげたい」と、我が家で引き取る話もしたけれど、母は手放さなかった。
ちっぷ、ちょこが亡くなり、去年の秋にでーる、その2ヶ月後にくっきーが旅立った。
くっきーはなんと、17歳を迎えた自分の誕生日に亡くなったのだ。
まるで「ぼく、17歳まで生きたよ!すごいでしょ!」と言っているかのような不思議な旅立ち。
母は4匹全員「ちゃんと見送りたい」と、ペットの葬儀場でしっかり見送った。
最近ではほとんど人任せな形が多い母がめずらしく、葬儀場への連絡や手配、さらには私に棺に一緒にいれる思い出の写真のプリントアウトの指示まで、自分の力でやってのけた。
くっきーの旅立ちまでたくさん泣いた私たちだったけれど、くっきーが旅立ったときに母と
「ひとつの時代が終わった感じの長くて楽しい時間だったね」と泣いた。
母は「でーちゃんとくーちゃんはうちで生まれて、うちで旅立った。誕生と旅立ちまで見守れたことは幸せなことだよね」とまた泣いた。
一緒に立ち会った私の夫は、葬儀場からの帰り道に
「俺、ももきちが先に死ぬなんて無理かも」とぼそっと話した。
犬と一緒に生きるって、そういうことなのかもしれない。
母は無事に電車で家に帰り、妹からは「感想聞いたらももきちの話ばっかりしてる笑」とメッセージが届いた。
母からは「楽しかった!いろいろありがとうね」と届く。
犬は本当に不思議だ。
一緒に行った散歩の写真を見返してみると、ももきちは笑顔で母を見てる。
母は父が亡くなってから今日まで、きっと一人で闘わなきゃいけないことだらけだったのだろうと思う。
「終活のためにも荷物や服を減らしていかないとね」と新しいものをほとんど買わなくなった母は、前よりも自分の話が増え、頑固になり、買い物以外ほとんど出かけなくなった。
だからこそ、新鮮で楽しかったのかもしれない。
新鮮な空気の中だったからか、母の頑固に少し余裕が出来たような気がして、いろいろなこと伝えられた気がする。
最近思うことがある。
ずっと亡くなった祖父母や父のことを大事に思ってきた。
お墓に話をしに行く時間も大事に作ってきた。
でも、亡くなった人ばかり大事にしてはいけないと思うのだ。
母は今も生きている。
大げさなことをしなくても「普通の週末を一緒に過ごす」だけで、母がこんなにもリフレッシュしていつもできないことを楽しそうにできるのなら、自信を持って「普通の時間を一緒に過ごす」ことを大事にしたい。
親孝行は大げさなことではなく、こういう時間を増やすことでもあるのかもしれない。
もういない父や祖父母を想うことはとても大事だけれど、母は残されてからここまで一人でいろいろなことを抱えて、闘って、守ってくれている。
不器用で頑固だけれど。
だからせめて、生きている間にできる親孝行をしよう。
そこにももきちがいてくれるだけで、きっと何倍もの楽しい時間になるのだ。
ももきち、これからも力を貸してね。