ひび番外編|ちっぷの息子でぇるとのお別れがくれたもの

目次

1.ちっぷ一家としてチワワ4匹との暮らし

ももきちを迎える前に実家で一緒に暮らしていた大切なチワワのちっぷ。

実はちっぷには息子がいる。

名前は「くっきー」「でぇる」「みろ」

先に一緒に暮らしていたちょこの旦那さんととしてちっぷを迎え、3匹の息子たちが生まれた。

彼らが生まれた瞬間、立ち会った妹と母親、祖母。

妹は放心状態で子どもたちを舐めてあげないちょこに代わり、キレイにしてあげてへその緒を切った。

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彼らは生まれたときから、私たち家族と一緒にいた。

そして「みろ」くんは親戚の家へ。

気がつけば「くっきー」「でぇる」と一緒にいる時間が増え、私たちは彼らを手放せなくなってしまった。

こうして始まったチワワ一家4匹との暮らし。

群馬の実家で放し飼いで、のんびり生きていた。

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そして私が東京へ出て、2週間後にちっぷが9歳で亡くなった。

さらに少しして妹が2人目の息子を出産。

彼には病気と障害があったので、より医療の整った東京へ妹一家、母、そしてチワワ3匹も一緒に引っ越すことに。

群馬の家に比べれば放し飼いも出来ず、広くはないのでケージで過ごす時間が増えた中で、母と同じ部屋で過ごし、母と一番上の甥っ子と一緒に眠る毎日。

そんな彼らも今年の11月で17歳。

ちょこが亡くなってから、くっきーとでぇるはどんどん目が見えなくなって、耳も聞こえなくなった。

それでも私が会いに行って話しかけるとヨタヨタの体で近づいてきてくれて、「ペロッ」と顔を舐めてくれるのが本当に嬉しかった。

2.でぇるが亡くなった

その日は早朝に一番上の甥っ子から携帯に着信があることに気づいた。

「どうしたんだろう。土曜日だからラグビーの試合のお誘いか、もしかしたらでぇるが亡くなったのかもしれない」と思った。

なぜだかわからないけどふと。

「くっきーじゃないと思う」とまで考えていた。

急いで折り返すと甥っ子は静かに私に言った。

「朝からごめんね。でぇちゃんが死んじゃった」と。

「やっぱりそっか。わかった。今日行くね」というと甥っ子は驚いて

「びっくりしないの?」と聞いてきた。

「なんでだかわからないけど、着信を見てそんな気がした」と返すと

「そっか」と彼は言った。

少しして、母に電話をかける。

「聞いたよ。大丈夫?」とだけ声をかけると母は溢れ出すように一気に泣き出した。

「4日前にお風呂に入ってね。で。昨日は夜中に苦しそうに咳してて大丈夫ー?って言ってたの。きっとそのあと亡くなってしまったのかもしれない。朝起きて話しかけたら反応がなくて、見たらもう冷たくなっちゃってた」と。

母も高齢。

きっとでぇるの火葬について冷静に考えられないのではと思って、電話を切ってからいろいろと母の家の近くで火葬までできそうなところを探して送った。

すると、母は私に言った。

「ちょこちゃんの火葬をしたあの場所がすごく良かったから、でぇちゃんも同じところでちゃんと見送ってあげたい」と。

少しして母から

「明日の14:30からで予約が取れたよ。少し安心したよ」と連絡が来る。

母がそこまで今テキパキ考えられると思っていなかった私は本当に驚いた。

同時に、母のでぇるへの深い愛情を改めて知った気がした。

3.でぇるとのお別れ

火葬の日。

でぇるに会いに行くとすでに冷たくなったでぇるが眠ってた。

眠ったでぇるは亡くなったちっぷに本当によく似ていた。

「やっぱり親子だったんだね」なんて母と言いながら泣いた。

くっきーが心配でケージをあけて抱っこしようとすると母は「くぅはすっかり抱っこが苦手になっちゃってねー」と言うので、くぅに手を添えて話しかける。

くぅは最後まで、でぇるのにおいをかごうとしていた。

もうにおいもほとんどわからないはずなのに。

でぇるは鼻から少し血が出ていたので、体を起こしてキレイにする。

少しでもでぇる自慢のツヤッツヤの毛に見えるよう、ゆっくりととかしながら、心の中ででぇるにたくさん話しかけた。

でぇるは生まれてちょこのおっぱいを吸うとき、体が一番小さいから場所を奪われて飲めなくて、そのせいか人一倍負けん気が強くて、甘えん坊で、頭もいい計算高い子になった。

私の口を舐めているときに、ちょこも舐めようとするとちょこに対しても怒るくらい、負けん気が強かった。

でも、ちっぷに障害が出て右回転し続けてうまくできないことが増えたとき、でぇるはちっぷと付かず離れずの距離からずっとサポートし続けてくれた。

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ちっぷがこたつの中に上手に入れない日には、ちっぷのおしりを押してあげる子だった。

火葬の瞬間。

一番上の甥っ子は最後まで泣きじゃくっていた。

人前で上手に泣けなくなった妹は彼がちゃんと泣ける子で安心したとも言っていた。

そして母。

最後のお別れ、一番最後にでぇるに顔を近づけて母は言った。

「でっちゃん。ありがとう。楽しかったね」と大泣きしながら。

その瞬間にでぇるとくっきーがこんなに長生きしてくれたのはきっと、母のことを見守っていたからなんだなぁと思った。

4.でぇるにとっての幸せとは

東京に引っ越してから、ずっと彼らをもっといい環境にしないとと思っていた。

群馬の家ほどじゃなくても、もう少し自由に過ごせる時間を増やしてあげたいと。

ももきちを迎えるまえに、母や旦那とも何度もその話をした。

わが家で引き取るべきかもとさえ考えたこともあった。

その度に母は言った。

「もうでっちゃんもくぅちゃんもおじいちゃんで、目も耳も悪いの。だから少しでもゆっくりのんびり、高齢者同士でマイペースに過ごせればいいの」と。

きっともし彼らをわが家に引き取って、母と別々で暮らしたとしたら彼らの幸せとはまた少し違う形だったのかもしれない。

彼らにとっても、母にとっても。

母はこれまでたくさんの別れを経験してきた。

特に父が亡くなって以降、一人でいろいろなことをたくさん抱えてきたと思う。

そんな母を彼らは誰よりもそばにいて、まっすぐ母に愛情を向けて、お互いの存在がお互いを支えていたんだ。

とはいえ。私の中に「もっとできることはあったかもしれない」という後悔の気持ちが消えることもないと、正直思う。

5.そんな中で見た不思議な夢

数日前、とても不思議な夢を見た。

ももきちと旦那と一緒にどこか山の中のログハウスのようなところで夜過ごしていた。

2Fのケージで過ごしていたももきちに異変を感じて見に行くと、小さな狼がももきちを襲っていた。

見るとももきちはすっかり弱り切っていて、力なく横たわっている。

「ももきちー!!」と急いでかけつけてみると違和感があった。

力なく横たわっていたのはフレブルのももきちではなく、チワワのちっぷかでぇるだったのだ。

だけど、そのあともずっとちっぷかでぇるのようなその子を旦那は「ももきち」として変わらずに接していて、違和感を持っているのは私だけという夢だった。

覚えているのはそこだけ。

これまでちっぷが今まで夢の中に出てきてくれたのは1回だけ。

そのときは私が手術で入院して、手術直後で麻酔が覚めたあと一人で眠っていたときの夜。

母にその話をしたときに「まりちゃんのことが大好きだったから、心配してそばに行ってあげたのかもしれないね」と言った。

それ以来の夢。

もしかして、ちっぷがでぇると一緒に会いに来てくれたのかもしれないと思った(ちょこはリラックマのようなぐうたらチワワだったので絶対動かず怠けてる笑)

もしかしたら「ぼくやでぇる、ちょこの分もももきちのこと大切にしてあげてね」と言いたかったのかもしれない。

私の中で消えなかったもやもやが、少し晴れるような気がした。

その話を今日、母にすると

「お母さんのところにもこの前あの部屋でテレビを見ていたら足に何か乗ったから、なでてあげたらすーって消えたの。きっとでぇるがくっきーをよろしくねって言いに来たのかもしれない」と言ってきた。

6.犬と一緒に生きるということ

でぇるの火葬は旦那も一緒に行った。

旦那は犬のお葬式や火葬の瞬間をはじめて経験した。

私にとっては3回目。

だから、どうしても一緒に経験してほしかった。

旦那は帰り道に静かに言った。

「俺、ももきちにいつか来るあの瞬間、耐えられないかもしれない」と。

2人で家に帰って、ももきちを抱きしめて一緒に散歩に行った。

「ももきち、長生きしような」と。

わが家で生まれて、わが家で死ぬまでのでぇるの約17年の人生。

人間よりも何倍も早く駆け抜ける犬の人生。

でぇるやくっきーにとって、東京での暮らしがどうだったかなんて、やっぱり絶対にわかることはない。

だけど、彼らが深く愛されていたのは確かで、彼らを支えに生きている家族がいたことも事実。

犬にとっての幸せとはなんだろう。

これだけ深い深い、まっすぐな愛情を向けてくれる彼らに、私たちは何をしてあげれば正解なんだろう。

満足できるときがくるのかな。

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先週紹介した、旦那が作るももきちの手作り犬ごはんの「ブルメシ」

実はあのあと、ブルメシをくっきーにも分けて母にあげてもらった。

「くっきーにはもう少し肉と野菜が大きかったけど小さくしてあげたら本当によく食べておいしかったみたいだよ、ありがとう」とメッセージが届く。

父が亡くなってあと、ふと気づいたことがある。

ついつい、亡くなった人のことばかり思い出して、悲しみにひたって、大切にしすぎていないだろうか。

亡くなった人のこと思い出して悲しむことはとても大切なこと。

でもきっとそれ以上に、今一緒に生きている人との時間を大切にしないといけない。

母やくっきーはもちろん、今一緒に生きていられる存在との時間。

どこまで尽くしてもきっと後悔が残らないときはないから。

誰かが命がけで教えてくれた後悔を、次の後悔で重ねないように、今を一緒に生きる。

夢を通じて伝えようとしてくれたことも、そうなのかもしれないな。

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でぇる。

うちに来てくれて、ありがとう。

まっすぐ、小さな体にはおさまらないくらいの愛情をくれて、ありがとう。

お母さんのこと、ずっと支えてくれてありがとう。

くっきーのこと、心配しないでね。

ももきちのことも、心配しないでね。

一緒に最後まで精一杯生きるからね。